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戯言による『失なわれた感性』への諸々なる思考と日誌
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これ以上、欲のために未来に負の遺産を残す事を許してはいけない。
何が本当の未来への努力かを考え実践してゆくための岐点が今だと思います。
私達の先人である親は戦後、豊かさへの努力をして現在を造ってくれました、でも弊害も起きてしまいました。
では私達が行うべき努力は何なのかが問われ、原発をどの様にすべきかはその問いのひとつだと思います。










    
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先日、「アメリカ人は単細胞」と小沢氏の発言、と言う報道があり、
また、言葉の一つを捉えての報道かと、ちょっとどのような小沢氏の講演内容だったのかと思っていたら、
その講演内容をテキスト化して下さっているブログに出くわしました。
小沢一郎氏についてとか、講演内容や、報道のあり方など、色々と考えさせられるものがありますが
私の思った事などは書かずそのまま載せさせてもらいます。
講演の記事の後に一連の報道記事も転写しておきます。


 
小沢政治塾での小沢氏の講演内容  (ブログ「日々坦々」から無断転写です) 
 
みなさん、おはようございます

三泊四日の夏の講座。
いよいよ最後になったわけであるますけれども、この短い時間ではあったと思いますけれども、
いろんな分野で活動しているみなさんがこうして一堂に会して勉強し、あるいは友情を広める深める、
そういう意味で皆さんの人生におきまして、いい思い出といい機会になったと思いますし、
そうであればこの政治塾の意義もさらに大きくなるだろうと思います。
もう九期生の皆さんは、集中講義は今日でもって終わりになり卒業するということになるわけでございますが、
十期生の皆さんはまた来年も、次の仲間を迎えての講義が勉強が続きますので、せっかく皆さん自分の休みを費やして
自分で参加していただいているこの政治塾ですので、是非、有意義に使っていただきたいと、そのように思っております。
えぇ、昨日、懇親の席もあったようですが、僕も参加しようと思ってたんですけれども、なんかもう、
今日、皆さん、もうお分かりのようにマスコミ諸君がもう、ホントにこの勉強に興味あってきていただいたんならいいんですけども、
大変、皆さんに、せっかくのところ迷惑をかけちゃいかんと思いまして、昨日は遠慮させていただきました。
今日も大勢マスコミ諸君がきてますけれども、皆さんもご承知のとおり、この政治塾は下世話な政局話をする場ではありませんで、
お互いに知識を深め、お互いに意見を交換しあい、自らを研鑽、研く場でございますので、ご承知の事と思いますけれども、
そういう主旨で今日も話をさせていただきたいと思っております。

今朝の報道で円が八十三円台に突入したという話がありました。
当面、円高傾向は上下ありながら続くんだろうと思っておりますけれども、今日は為替の話をしようとしているのではありませんで、
今日、日本社会がもっている最大の問題点はなんだろうと、いうことを皆さんと共に考えてみたいと、そう思っているわけであります。
資料は後から見ていただければいいんですけれども、日本は戦後、戦争の荒廃の中から奇跡の復興と呼ばれる経済の復興を成し遂げ、
今、バブルの崩壊から景気が悪い悪いということでいわれてますけれども、
まあ、まだ、この国においては、ほかの国のように食べれない人が出てきているわけでもありませんし、
街中に、失業者は増えてはおりますし潜在的失業者の数をかぞえるとかなり多いんですけれども、
それでも欧米にくれべても失業率もまだ半分くらいのところですから、そういう意味で日本の社会はまだ平穏を保っているわけですけれども、
今後のことを考えてみますと、今申し上げました為替も当分は円高にふれていくでしょうから・・・。
 
そうしますと外需、ようするにアメリカと中国がメインですが、ま、最近は東南アジアも増えてますけども、
外需に頼りっきりの日本経済というのは、非常に大きな打撃を受けることになりますし、また、為替だけではなくしてアメリカ経済の行方、
そして特に中国の経済の行方、中国の経済のバブルの崩壊がもう始まっているという人もいますけれども、
経済的な崩壊は中国の場合には政治的な動乱に繋がる恐れが十分にあると。
 
そういうような政治・経済いろんな意味で非常に不透明な不安定な状況に、どんどんなりつつあるということは間違いのない現実だと思います。
 
私から言わせれば、本来の日本人の精神と知恵と力をもってさえすれば、このくらいの困難を克服するのは、私は容易に可能なことだと思っていますけども、
今日の日本社会を見ますと、非常にあらゆる分野で、最近、「劣化」という言葉が使われておりますけれども、勿論、私ども政界においても、
官界においても財界においても、一般社会においても、
そういう精神の荒廃といいますか、日本人の劣化というのは急速に進んでいるように思えて、その点が心配でなりません。

最近、あの報道ダネになっておりました、高齢者のね、あの全然住所録のとおり行ってもいなかったと、
どこに行ったかわかんないと、子供でさえ、じいちゃん、ばあちゃんどこにいるんだかわからない、
というようなのは現実だとあわてて今、各市町村であっちゃこっちゃ調べているようですけれども、
家族でさえわからなくなっている、という状況。
 
それから、また前からも言ってますけれども、親殺し、子殺し、もう毎日毎日報道されております。
特に、こともが親を殺すっちゅうのは、儒教的道徳でいいますと、最も悪いちゅうことで、いわゆる親族殺人?という、重い刑になりますけれども、
なんといいますか、その人間の情とかなんかの側面からいいますと、親が、特に女性の場合は自分の腹を痛めて産むわけですすけれども、
その子供を平然と殺す、あるいは虐待する、あるいは捨ててしまう、というようなことが日常茶飯事のように毎日毎日おきていて、
だんだん、聞いてるほうも何も感じなくなってきて、ああ、またか、というような状況になりつつあるのが、
今日の日本社会なのではないだろうかなというふうに思っておりまして、その意味では非常に日本人自身が、私は、自立した日本人を、
そして自立した日本人の集合体である自立した日本国をということをいっておりますけれども、それは、自立してるかしてないかというのは、
心の持ち方の問題でありますから、ある意味で、今言ったことと同義語であります。
 
まあ、そういう状況が急速に日本社会にはびこりつつある、このことを我々は真剣に考えなくてはならないだろう、とそう思っております。
 
私は九年以上前の皆さん覚えているかどうかわかりませんが、新進党のときもまた、自由党のときにもこのことを公約の第一に挙げたんです。
 
人づくり。それが一番大事だと。みんな反対した仲間は。そんなの公約の一番目に挙げたって選挙の足しにならんと。
 
マスコミやいろんな人が聞けば教育が一番大事だと全員こたえますよね、たいがいの人は。
教育は大事だ大事だと、
タテマエでは言ってますけど、それを強調して選挙でそれで訴えても票にならないということはどういうことだと。
口先では、教育大事だね大事だねと言うけれども、本当に真剣にそのことを考えている人は少ないということでございます。
 
ですから票にならない。
 
まあ、しかし私はそのことは十分、選挙を長年やってきた身としてわかってはいるけれども、
我々は新しい政権(制度?)で新しい日本をつくろうとしてるんだから、選挙にはあまり効果がなくても、
人づくりということは第一の公約に掲げようと。
この点だけは私は強行に言い張って公約の一番目に掲げてきた経過がありますが、
それがこんにち本当にもう一度、国会議員は勿論ですけれども、
日本人全員がやはり自分の胸に問いかけてみなきゃいけないんじゃないか、と
いうふうに私は思っております。
 
教育と言わずに「人づくり」といいましたのは、教育というと学校教育というイメージだけが先行しがちですので、教育には一番には家庭教育、
それから学校教育、社会教育とあらゆる分野での人づくり子育てがあるわけですので、そういう意味で人づくりという言葉を
使ったわけであります。
 
こういうテーマでですね、実は五・六年前に瀬戸内寂静さんとテレビで対談したことがありました。
私はこの精神の崩壊を立て直すにはワンジェネレーション、三十年はかかるだろうというふうに申し上げたところ、
瀬戸内さんは「いや、三十年どころじゃとても直らない、百年はかかる」と、そういう話をなさいましたけれども、
それだけ私は非常に本質的な問題であり、深刻な現状だというふうに思っております。
 
まあ、昔話を自分の活動でもって感じた話をちょっと、思い出話になりますけど、しますけどね。

ぼくが最初に選挙に出た頃、ですから四十年以上前ですけども、そのころね、まあ田舎のせいでもありますが、
宣伝カーで「小沢一郎でございます」と言って、まあ他の人も同じですけれども、通っていきますとね、
小学生や中学生のみんながね、パッと道端へ、横へによけてね、帽子とってね、おじぎしたもんですよ。
今ね、選挙区にほとんど帰ってないからわかんないですけれども、それは強制されたわけじゃあないんですね、
学校の先生から、そうしろ、と言われたわけじゃないんですよね。
それは大人もやはり田舎で農作業しててね、あたまにてぬぐいまいてたり傘かぶっている人もきちっと会釈したもんです。
 
そういうような、今から考えると信じられないような状況、時代でした。
今なんかね、たまにどっかの遊説カーに乗って「よろしく」っていってこっちはニコニコしてるんだけど、
あの「バーカ」(笑)なんていってね、いうやつが非常に増えてますけど、当時はそうでしたね。
ですから、それは一つの象徴的な自分の体験の例として話すんですけれども・・。
 
そういう具合にあらゆる面であらゆる分野で、良くも悪くも規律というかモラルというか、そういうものがまだまだ日本人のそして
日本社会の美徳として残っておった時代だと思っております。
 
それが良い悪いかは別としまして、そういうたぐいのことは、かけらもみられなくなってたきた昨今じゃないかなと考えております。
 
日本は、特に明治の頃は、よく皆さんもお聞きと思いますが、文明というのと文化という言葉を分けて使ってたんですよね。
 
物質文明というでしょ、物質文化とはいわないよね、物質文明、精神文化でしょ。
それから、西洋文明、東洋文化、そういうように半分、あれなんですけどね、
自分たちが遅れていたコンプレックスの裏返しではあるんですけれども、そう言えるくらいの精神的な豊かさと、大きなそして強い心をもっておった。
だからこそ、侍の支配する封建制からいっきに、西欧でいうと、
ヨーロッパで言えば近代革命と市民革命を一緒に成し遂げたような明治維新が出来上がった、まあいうことだろうと私は思っています。
 
そういうように非常に日本人のそれなりの美徳といいますか、高いモラル、文化をもっておったと。
 
ぼくは、あの前にちょっとこの九期十期の皆さんの前でいったかわからないけれども、織田信長を私は歴史上の人物として尊敬している人ですけれども、
あの頃にキリスト教が戦国の終わり頃ですが、日本に入ってきましたね、イエスズ会だのローマカソリックですけどね。
それらの伝道し神父の本国への報告にも、この東洋の一番端っこのこの島国で、これだけの文化と、これだけ礼儀正しい民族、
そして非常に綺麗な清潔な国が存在しているのは驚きであると。
当時のヨーロッパよりはるかに素晴らしいと、いう主旨のことを本国に送ってるんですね。
 
これはもう、本当に彼らはびっくりしたんだろうと思います。
 
そして特に経済的にもね、信長の時代は中世のくびきを断ち切りましたから、ヨーロッパ以上に銀の流通量は世界一だったといわれておりますが、
商業・経済が大発展した時代ですけれども、まあ、それは別として、
そういうことがその時代に、既に、外国人から見ても言われているような、
そういう日本人の社会を形成していたということは非常に驚くべきことであると同時に、我らも誇らしいとこだろうと思っております。
 
ま、そんなことで、かつては、日本人は礼儀正しいし、最も秩序ある社会だし、平和な社会だしと言って、えばってて、
アメリカなんか金持ちで大きな国だけど、その世の中むちゃくちゃ乱れてると、いうたぐいの考え方を持っていた人が大部分だったと思いますけどね。
 
これも、5・6年前の話でアメリカに一度行った時にね、ものすごく驚いたことがあるんですよ。
というのは私の車があの、スクールバスのね、後ろを走ってたんですけども、そのバスがあるところで止まったですね。
子供達が当然降りてきますよね、そうすると勿論後ろの車も追い越したりなんだりしませんし、止まってますけども、
対向車もね、ピタッと止まってるんですね。これは別に警察がいて止めてるわけじゃないですよ。
スクールバスが動きだすまでピタッと、誰に言われたんじゃなくて、
キチンと止まって子供達が乗り降りするのを、終わるのを待って走り出す。
 
まあ、そういう光景に出くわしましてね、本当にアメリカ社会ちゅうのは、俗にメチャメチャで乱れて、いい加減なとこだというような見方を、
お金持ちだけどそうだと、いう見方をしてる人が多いんですけれども、やはりそういったモラルはきちんと守ろうと、
守らなくてはいけないんだ、という意識を彼ら自身がきちんと持っている、ということに大変、私は驚き、感銘をいたしました。
 
これはねえ、あの、政治的な点でもそうですよね、僕はアメリカ民主主義ちゅうのは、なんだかんだいうけれども健全だなあと思ったのは
、最近ではね、あのブッシュとの選挙のときにフロリダでしたかな、最後の時に、あの計算間違えて、
もう一回やり直しだ、なんだなんていって、日本では計算間違えるというのは絶対ないですよね。
 
まあ、ずっと田舎のほうではね、相手の票を食っちゃったという例はあるけれども、計算を、事務的な計算を間違えるちゅうことは、まず、まず少ない。
ところが簡単なそういう計算を間違えたっちゅうことはね、世界中におおっぴらに、別に宣伝したわけじゃないけど、オープンなかたちで議論、
いいとか悪いとか、有効だとか無効だとかちゅうことを、いわば恥っさらしみたいなことであってもオープンにやる、
というそのアメリカの民主主義。
 
ぼくはまた、今度のね、オバマ大統領の、絶対黒人大統領なんかはありえない、と思ってたアメリカ社会、黒人の大統領が誕生した。
しかも、アメリカではケネディに始まってね、大統領暗殺の歴史も沢山あります。
リンカーンもそうですし、
だから、黒人が候補者に出たら、必ず暗殺されるんじゃないか、という噂さえ、事前にはずっとあったんですね。
 
だけどこの危機にあたって、変化を強調したオバマ大統領を彼らは選んだ。
現実、今、オバマ政権が言ったとおりやってっかどうかは別といたしまして、黒人の大統領をあえて、歴史上はじめて彼らは選択した。
 
私は、そういう意味でね、決してあまりアメリカ人を利口だとは思ってませんけれども、そういった意味での民主主義と、
そして危機にあたっての国民の選択という自由な、自分の意思による選択というものが、きちんと実行されている、
ということについて非常に高く評価をいたしておるところでございます。

まあ、そういうことで、本当に私は日本がこれから益々政治・経済共に困難な時にあたって、日本人自身がきちんとした自立した人間、
きちんとした自分で判断し自分で行動し責任を持つ。そしてきちんとしたモラルを身に着ける、
ということが、将来に困難が予想されればされるほど、大事なことではないかなというふうに思っております。
 
そういう中でね、この前、安部政権でしたか、ちょっと資料ありますけれども、教育基本法の改正というのが自民党政権下で出されました。

まあ、結局、妥協の産物でヘンチクリンな文言を入れるにとどまったんですけれども、そこに、あの三つのね、
旧教育基本法と、自民党が修正したもの、
いわゆる、態度を養うとわが国と郷土を愛する、態度を養うみたいなことを入れただけにとどまったんですけれども、
しかし、このね、俗に愛国心、愛国心と言いますけども、これは、お上から、これを上から親から押し付けられて、
あるいは観念的に教えられ強制され強要されて、生まれるもんじゃないですよね。
 
心の問題ですから。
 
それぞれの各人の心に宿るものですから。
 
家族愛、郷土愛、祖国愛。これはそれぞれの各人の心に宿るものでありますから、教育基本法に書いてあるとか書いて無いとか、
学校の先生が教えるとか教えないとかっていう、本来、そういう性格のものではありません。
自然とそれぞれの国民の一人ひとりの心に宿るものだと私は思っております。
 
ですからね、これも例を挙げますと、戦前ね、明治の時代ではなくして、昭和の初めの戦前の時代を例に取りますと、
たとえば、皇軍、日本軍、「こうぐん」ちゅうのはのはみんなわかんなかな?
 
皇軍は、世界にその軍規の厳正さを誇った、そのくらい規律正しくて統制がとれた軍隊は、わが大日本帝国の陸海軍のみと、
いうくらいに吹聴しておったんですけれども、この太平洋戦争の最中にね、これ本に書いてありますから興味ある人は見ていただきたいんですけれども、
捕虜になった人達ね、その実態を書いた本があるんです。
 
特に陸軍がそういう傾向が強かったんですけどもね。
 
捕虜になったとたんに、まあ当時は捕虜になっちゃいけない、あの、生きて虜囚の辱めを受けてはならん、死して悠久の大義に生きん。
 
※「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」(『戦陣訓』「本訓 其の二」, 「第八 名を惜しむ」)
 
と、こういう軍国の教えがあったわけだけれども、その時に捕虜になった人もいっぱいいるわけだ。
そうしますとね、アメリカ人がものすごい驚いたちゅうのが、
捕虜になったとたんに、全部軍事機密でもなんでも将校も兵隊もペラペラペラペラ聞かないことまで全部しゃべる。
それがホントの事実だっちゅうことが本にちゃんと全部書いてある。
 
それから、軍隊組織であったその捕虜も、軍隊のその制約がとれて捕虜になったとたんに、上下の区別も将校もへちまもない。
まったく無秩序の烏合の衆に化してしまった。
まあ、そういう記述がきちーんと本に載っております。
それが実態だったわけ。
なぜだ。なぜそうなんだ。
 
その一方でね、みんな、あの、映画覚えてるかな、「戦場に架ける橋」というのを。覚えている人いる?この中で。
もう古いからいないか?いる?おお、タイとビルマのね、戦争中に国境に鉄道を通すということで、
日本軍が昼夜建工で、工期4年か5年かかるのを1年でちょっとで作っちゃった、話なんだけれども、
その映画、早川雪洲とね、誰だっけもう一人英国の俳優でもってあったんですがね、
そこにアメリカ兵やオーストラリアの兵やそして特にあそこイギリスの植民地でしたから、
イギリス兵の捕虜を使役に使ったわけですね。
 
ある日、イギリスの捕虜が送られてくる、ということになって、その現地に。
まあ、たぶんねヨロヨロして、ふて腐れてモタモタ歩いてくるんだろうと、誰もが想像しておった。
 
ところが、イギリスのその捕虜は、将校を先頭にして隊列を組んで、いわゆる映画では「クワイ河マーチ」と言われる。
口笛で行進曲を吹きながら、みんな隊を組んできちっと収容所?に入ってきた。
アメリカ兵もオーストラリア兵もおったまげて、日本はもっとおったまげたわけですけれども、
そういう捕虜になってもキチンと組織のあれが守られている。それから、鉄道をつくる作業にその兵を使うわけだけれども、
ジュネーブ条約で将校は使役に使ってはいかんちゅうことになってんですね。
 
それでその将校の、捕虜部隊の一番偉い人がたまたまキャップ、長になったんでしょうけれども、日本軍はその人も強制労働せよと命じたんだけれども、
これはジュネーブ条約で将校は、そういうことはさせられない、する必要ない、させてはいけない、いうことになっている。
断固拒否したんですね。その将校が。
独房に、まあ南洋ですからね、熱いトタンぶきのうだる様なグダグダの独房に一週間くらい閉じ込められて。
しかし、それでも絶対負けない。
それでフラフラになって出てきた。
その将校を、賞賛しようとして言ってんじゃないですよ。
その出てきた、絶対に将校はその作業につかなくていいんだ、
という筋道をきちっと守って、独房からフラフラになって出てきた将校を、その他の兵士が拍手で迎えた。
よーやった、と。
 
非常にわたしはびっくりしたと同時に感動した場面でしたね。
たぶん、今、言ったように日本の兵隊が捕虜になったら、
「何言ってんだ、お前だけサボっててふざけんな」というような類(たぐい)の話になってたんだろうと、
その本を読むと想像できますが。
 
その「戦場に架ける橋」「クワイ河マーチ」というのは、
そういう、まあ日本を軽蔑した映画だというような、つまらん論評は別にして、私はそこに非常に感動した。
なぜ、この違いが出てくるんだ、と。
 
それは、いわゆる帝国陸海軍、この規律・空気、これは結局、天皇陛下の名を借りてですけれども、
上から与えられ、押さえつけられた結果で、それを守ってきた。
 
だが、イギリスのほうはそういじゃない。
自分達でつくった国であり、自分達の意志でもってつくった軍隊であり、また、組織、階級であった。
自分たち自身のものなんですね。
 
だから、祖国愛も、その祖国のために戦う軍隊も組織も、みんな自分たち作りあげてやっているもんなんだから、それは、守らなくてはいけない。
たとえ捕虜になっても、というのが、私は彼らの意識ではないかな、というふうに思いましてね。
非常にその映画に、その部分ですよ、その面において感動したことを今もって忘れてはおりません。
 
ですから、私はそういう意味で、家族愛で始まる郷土愛、祖国愛、愛国心というものは、そういう本当に自分たち自身の心の中にうまれるものでありますし、
また、社会、国は自分たち自身の社会であり国であると。
それが自立心であるという民主主義の基本の意識が徹底していると、
ということを私は学ばなくてはならないと、いうふうに思っております。

私はイギリス人は、まあ好きじゃないんですけども、
ええ、散々悪いことしといて、なんかあの紳士ヅラして済ましてますから、好きではないんですけれども
その知恵とね、やはり自分たちの自立心と、そういうものがね、やっぱりその知恵と自立心は、七つの海を支配しただけの民族だと思ってますね。
 
あのアメリカの連中と話した時もね、時々話すとね、なんで、そう君らはそう単純なんだと、本家のイギリス人に少し学んで来いって言うんですけれども、
僕はアメリカ人は好きですけれども、どうもね、単細胞なところがありまして、ダメなんですが、
我々は、いわゆる他山の石、やっぱり、いいところはキチンと学ぶという面が、自分自身の研鑽につとめ、
また、自分自身を作り上げていかなくてはならない。
 
その基本が私は人づくりと、広い意味での教育でありますから、今こそ、急がば回れ、本当に今後のことを考えた時に、
この人づくりということに、もう一度、思いをはせなければならないじゃないかと思っております。
 
日本のね、家庭教育の崩壊もそのとおりですけれども、戦後の学校教育のあり方も、その資料にもありますけれどね。
 
(教育勅語は入っているな)
 
地方自治体の教育行政に関するうんぬんという法律があるんですがね、そこには、市町村が全部責任を負うということが書いてあるんです。
ところが次の章の四十八条かな、二十三条に市町村の役割ということが書いてあって、次の章の48条には今度は文部省の権限等ということが書いてある。
ほとんど同じ内容で、文部省はこれについて、指導、監督、援助することができるということになってる。
これ、金もってますから、金は中央でもってるわけですから、結局、文部省の言うとおりの、まあ、言うとおりっちゅうか、
いちいちつまんないことまで全部口を出すという今の官僚組織のしくみ、そのものになっている。
ところがこれ歪んでるんですよね。何か起きた時は、責任は市町村だと法律に書いてあるじゃないかと、何か起きれば文部省は逃げる。
で、市町村も、そんなこと言われたって、文部省の言うとおりやってるだけじゃないかと、どちらも責任とらない、
とれないという、法律から始まって教育のしくみなんですね。
 
これは、あらゆる行政省庁でも皆そうですね。
 
法律だけじゃなくして各行政、省庁は、省令は勿論出しますし、
通達とか、なんとかかんとかっていって、いろんなかたちで自治体はじめ、
各社会、産業分野の隅々にまでコントロールをするようにしてあるのは、今日の仕組みなんですけれども、
特に、この教育の全くおかしな歪んだ仕組みは、ずっと戦後そのままになっている。
ということが私は一つの学校教育で言えば、一つの大問題ではないかというふうに思っております。
 
この教育につきましても、民主党は民主党なりの考え方を日本教育基本法の中にも入れておりますし、
私ども、さっき言った自由党の時代にも「人づくり法案」として提案しておりますけれども、
いずれにしてもこのことを、今日は特に9期生の皆さんは、これでおしまいですので、このことをお話したいと、
そう思って申し上げたところでございます。
 
まあ、私も子供もいう事を聞かないし、もう勝手にやってますが、
親の資格はないですけども、人様に迷惑かけなけりゃ、もう勝手にやれと、言っております。
どこに就職して何してんのか、よくわかりませんが、今のところどこからも苦情がきてませんので、自分自身で生きてるんだろうと、
そう思って私は、その点では安心をいたしております。
 
本当にこの政治塾で、ずっと前に申し上げたことはあるんですけれども、今日はこの機会にと思って、教育、人づくりのことについて申し上げました。
 
皆さんもだいたい人の親の、大部分そうであろうと思いますけれども、まあ、今、子育てがどうのとか、いろいろありますけれどもね、
まあ、当たり前に自然に自分自身がちゃんとしてればね、子供は育つ、子は親の背を見て育つ、とまあよく言いますけども、
一所懸命、真剣に真面目に生きる、ちゅうことが教育、子育ての根本ではないかと、いうふうに思っております。
 
もうちょっと政治制度、政治学的な、あるいは世界政治の話でもしようかなと思ったんですが、それはまた、質問の時にでも・・・
 
まあ、あの厳しいまマスコミの皆さんのいないとこで、皆さんの時間のある限り議論したいと思いますので、この場はこれで終わりたいと思います。
 
ありがとうございました。
 
 
 
読売新聞より
 
民主党の小沢一郎前幹事長は25日の「小沢一郎政治塾」の講演で、米国観を語り、
「米国人は好きだが、どうも単細胞なところがあってだめだ」と述べた。
 米国のオバマ大統領について「絶対、黒人大統領はあり得ないと思っていた社会で黒人大統領が誕生した。
黒人が出たら暗殺されるといううわささえ以前にはあったが、この危機にあたって変化を強調したオバマ氏を選んだ」と指摘。
「決して米国人は利口だと思っていないが、民主主義、危機にあたって国民の意思による選択がきちんと実行されていることを非常に高く評価している」と強調した。
 また、小沢氏は「政界でも官界でも財界でも、精神の荒廃、日本人の劣化が急速に進んでいる」と問題提起。
第2次世界大戦を舞台にした映画「戦場にかける橋」に登場する英国人捕虜の規律正しさを紹介し、
英国を「さんざん悪いことをして紳士面しているから好きではない」としながらも
「祖国のために戦う軍隊も、自分たちの意思で(作った)という意識がある。
自分たち自身の社会であり、国であるという民主主義の基本の意識が徹底している」と評価した。
 
 
 
ウォールストリートジャーナルより
 
失言癖のある有名な政治家がいなければ、政治風刺家はどうしたらいいだろう。
政治家の失言が問題にならない国はほとんどないが、日本は格別だ。
特に海外との関わりに絡んだ失言が多い。
派手な発言を繰り返していた国民新党の亀井静香代表が金融担当相を辞任して以来、しばらく政治家の失言は鳴りを潜めていた。
しかし日本では次の失言が出てくるのに、そう時間はかからない。
国内メディアは二十五日、民主党の重鎮、小沢一郎前幹事長が、米国人を、なんと「単細胞」と呼んだと報道した。
同氏については、資金管理団体による政治資金規正法違反事件への関与をめぐる捜査が続いている。
派手な発言を繰り返していた国民新党の亀井静香代表が金融担当相を辞任して以来、しばらく政治家の失言は鳴りを潜めていた。
しかし日本では次の失言が出てくるのに、そう時間はかからない。
国内メディアは二十五日、
民主党の重鎮、小沢一郎前幹事長(資金管理団体による政治資金規正法違反事件へ呼んだと報道したのとの関与をめぐる捜査が続いている。)が、
米国人を、なんと"単细胞"と評した。
小沢氏は都内での講演で「米国人は好きだが、米国人は単細胞なところがある」と発言。
さらに米国の民主主義について「私は(米国人は)利口とは思っていないが、国民の選択がきちんと実行されることについては非常に高く評価している」と持ち上げた。
小沢氏の都内での講演で、米国の民主主義について「私は(米国人は)利口とは思っていない、アメリカ人は好きだが単細胞なところがある」と発言をし、
「米国は国民自身による(政治)選択がきちんと実行されることについては非常に高く評価している」と持ち上げた。
小沢氏は26日、来月の民主党代表選に出馬すると表明した。
そうした人物が、オバマ米大統領が初の黒人系として大統領に選出されたことについては、
黒人大統領は「暗殺されるかもしれない」と思い、「ありえないと考えていた」と述べた。
小沢氏は二十六日、来月の民主党代表選に出馬すると表明した。
そうした人物が、オバマ米大統領が初の黒人系として大統領に選出されたことについては、
「黒人大統領は暗殺されるかもしれないとも思い、ありえないと考えていた。」と述べた。
東京の米国大使館は同氏の発言に対しコメントを控えた。東京の米国大使館は同氏の発言に対しコメントを控えた。
同氏の失言は初めてのことではない。昨年十一月にはキリスト教は「排他的で独善的」と呼ぶとともに欧米社会は「行き詰まっている」と発言している。
昨年十一月にはキリスト教は独善的で排他的だ呼ぶとともに欧米社会は行き詰まっているのと分析し発言している。
しかし小沢氏は、森喜朗元首相などに比べればまだましだ。しかし小沢氏は、森喜朗元首相などに比べればまだましだ。
森元首相は、二千年問題に絡めて日本とその重要な同盟国の違いに注目し、「日本では、水やカップラーメンを買ったが、アメリカはピストルと銃を買った。
停電が起きたら、ギャングや殺し屋がやってくる。(米国は)そういう社会だ」と述べた。
森元首相は、二千年問題に絡めて日本とその重要な同盟国の違いに注目し
「日本は水やカップラーメンを買ったが、アメリカはピストルと銃を買った」と、
「(米国は)停電が起きたら、ギャングや殺し屋がやってくる。そういう社会だ」と述べた。
 
 
 
 

   
テレビアサヒより
 
「アメリカ人は単細胞なところがある」民主党・小沢前幹事長の二十五日の講演での発言を、アメリカのメディアが一斉に伝えました。

 小沢前幹事長:「僕はアメリカ人は好きですけど、どうも単細胞なところがありましてダメなんですが」
 この発言を、AP通信やブルームバーグは「日本の大物政治家が『アメリカ人は単純』と発言」などの見出しで取り上げました。
また、ウォールストリート・ジャーナルも「日本の政治家には伝統的に失言をする人が多いようだ」と指摘しています。
 
 
 







































 
yagi011.JPG







 
 
先日、国立新美術館へ行きましたがその時思い出した事を書きます。(記事とは関係有りませんが、国立新美術館はこれまで幾度か訪れました、しかしあまり好きにはなれません、建物の建築デザインにデザイナー自身の自己主張を強く与え過ぎるのとイベント会場の様な構造が無機質で心の調和がとれません)
 
1年程前でしょうか此処へピカソ展を見に来て作品を見ながら1日過ごした時の感じた事を思い出しました、後日また訪れたのですが、その時も今回と同じように各美大の卒展が催されていて忘れていた想いが蘇ったのでした。
その蘇ったものとは写真のピカソの「雌山羊」のブロンズ像です。
この作品を実際に見たのはその時が初めてで、何度もその作品の前で立ち止まりじっと見詰めていましたが、何か壁を隔てたような、感触に霧がかかったような、その様な僅かな「違和感」を覚えたのを思い出したのです。
それで昨日、この作品についてネットで調べてみたら赤茶けた石膏のオリジナルを写した写真が出て来たのです。

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ピカソはブロンズの「雌山羊」を作ったのではなく空き缶や木切れやシュロの葉や壺を集め石膏の「雌山羊」を作ったのです。
この写真にはピカソの手から生まれた感覚が形となっているのが直に伝わってきます。
ピカソの作品は構成から色使いやその細部に至るまでの全てに精神によって完璧にコントロールされて生まれて来たものばかりなのです、それが昨年私の感じた「違和感」とは、そのコントロールが欠けていた事からの感触だったのでしょう。
型を取ってブロンズ像を何体か製造したのはピカソの意思だったのか他の者によるのかは解りませんが、少なくともこのオリジナルの「雌山羊」はブロンズ像のための形とは私にはどうしても思えません。
 
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こうして写真だけですが比べて見ると、感じるものが相当違っているのではないでしょうか、ブロンズの「雌山羊」は壁の向こうのピカソの姿であり霧に霞んだピカソの姿の様でも有ります。
これはまるで私たちの裡で日常に「感じる」事を「言葉」で捉え直し認識する事でオリジナルの「感じる」を認識出来なくなっているかのようです。
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昨日、日本人起源を更新世から弥生にかけて(約4000年)検証すると題した人類学公開シンポジュウムを聴講して来ました
考古学のシンポジュウムには幾度か足を運んだことがあるのですが
人類学のシンポジュウムは初めてでした。(開催は5~6年に1回程度かな?)
200名収容の会場に300名以上が来場し受け付けロビーにまであふれるといった状態で日本人起源に対する関心度の高さを感じさせるものでしたが、考古学系でもそうなのですが人類学系も関心を寄せる人の年齢が非常に高くもう少し年齢幅が有っても良いのではと少し残念でした。(10数人10代の学生が居たのはちょっと嬉しいが中間層は皆無)
 
公演内容は私の把握予想していたものではありましたが、昨年発掘された後期旧石器時代の人骨の分析によって旧石器の列島人が縄文人の祖先である可能性が一段と薄くなったと言う報告に、私の私的認識に対し疑問点を大きくさせた事が一番の収穫となりました。
いずれにせよ発掘が有ってこその分析探求ですので、列島本土で奇跡的にでも旧石器時代の資料と足りうる浜北人骨以上の発掘がある事を望むばかりです、期待していた縄文から弥生に至る数百年間と言う埋蔵資料の空白期間が今だ進展なしと言う報告も、致し方の無い事とは解ってはいるのですが少し寂しい思いを覚えました、これらは考古学に関わる人の発掘成果に更なる活躍と発展を期待し人類学の分析など技術的学術的進展を応援するものです。
又、CTスキャンとデジタル解析により頭骨の欠損部分の修復および精密な実模型が可能となり頭骨内(脳)の模型の作成が出来るようになった事に付いて、港川人の脳模型と現代人の脳模型との比較資料で大脳皮質と小脳の比率が現代人の方の小脳の比率が大きく見えたのですが(個体差なのかもしれません)脳科学的見聞に問うた報告が無かったのは疑問点として残りました。
 
しかし考古学と人類学の連携が強まり古代の実態が強烈なスピードで浮き彫りにされているのは頼もしく嬉しくありました、あとちょっと面白いと思ったのは、旧石器時代を称するに先土器時代という言葉は聞かれず、頭部の骨(頭蓋骨)を人類学では頭骨(とうこつ)と呼び考古学では頭蓋(ずがい)と呼ぶのは面白いなあと、明治に始まった学問の分化を感じさせたことでした。
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