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戯言による『失なわれた感性』への諸々なる思考と日誌
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ヨーロッパの古代とはギリシャ・ローマ時代の事を一般に指しますが殆んどの日本人はギリシャ人によるギリシャ文明とイタリア人によるローマ帝国以外の知識は無く、古代から近代までのヨーロッパの歴史を捉えるには日本列島の様なひとまとめに見る事は出来ず人種と種族は地域を流動的に移動し支配しているにもかかわらずヨーロッパの各国がそれぞれ単一か少種の人種・種族で構成され文化を持っているかの様な感を持ってしまいがちです。
しかし日本列島の新石器時代から縄文時代だけを見ても人種のつながりは薄く、また縄文人とひとまとめにくくって称しますが多くの種族による混血で成り立っており弥生以降の渡来人によって現在日本文化と呼んでいる「日本文化」が形成された事を、認識を改め他の大陸の人種的流入と混濁による歴史を学び自分達の成り立ちに目を向けなければ日本人の特殊性と言う「優位性神話」を作り上げる事に成りかねません。
ルネッサンス期のヨーロッパでは古代をギリシャ・ローマ時代、近代をルネッサンス以降、中世をその間の時代と指す言葉として作られ古代以前は謎であり、「優位性神話」によって古代以前アフリカ大陸には白人による原始王国時代が有ったと考えました、この観念が黒人に歴史は無くアフリカを暗黒大陸と称し大航海時代の搾取貿易と共に300年間もの奴隷制度へ拍車をかけ1億人以上とも言われる命の犠牲へ至る事のひとつの要因と成ったようです。
無関心や間違った認識は自らに都合の良い空想的概念を与えてしまいます。
 
古代ヨーロッパ以前、地中海東方沿岸諸島にエジプト・メソポタミア文明を持ったアナトリア(現在のトルコ)の民族によるキクラデス・トロイヤ・クレタ等のエーゲ文明が起こり、バルカン半島南端のペロポネソス半島に紀元前1500年頃発したミケーネ文明の残した影響により複数の商易都市(ポリス)が集合体となってギリシャ文明が形成されたのが紀元前700年頃、そのギリシャ人(現在のギリシャ人ではなくアナトリア系人種)は地中海沿岸各地で活躍しその文明は多くの地域に影響を与え、石器時代から幾つもの種族が住んでいたイタリア半島にある小さな村のひとつが、半島南部から入ってきたギリシャ文化によってローマ帝国へと巨大化してアフリカ北部やエジプトを始め地中海沿岸からブリテン島へまで達しヨーロッパ大陸の大半を飲み込み、各地に帝国文明化した人民と共に富と享楽の都市を築きイエスキリストと弟子達による原始キリスト教が衰退し古代カトリックと言えるキリスト教がローマ帝国の国教とされ多大な権力となって行きました。その事もありギリシャで発達した文学・哲学・科学等はローマ時代のヨーロッパへ継承されることは無かったようです。
その後このローマ帝国の巨大化を原因とする衰退や分裂と共にイスラム勢力の支配とキリスト教による攻防の時代と成り民族や人種の入れ替わりや大移動と混入がヨーロッパ全土を飲み込み中世ヨーロッパと呼ばれる人種と民族による大小多数の権力と富と武力による諸王国と文化的支配となるキリスト教(カトリック)の富と権威とによる地方都市の時代へ変化して行きヨーロッパ文化がキリスト教文化となり、農村は3世紀の終りエジプトに始まった原始キリスト教の保持を目指す修道院がヨーロッパに広がり、中世には修道院による農村の開墾が行われ農耕の生産力が飛躍的に高まります。
ヨーロッパにギリシャの文学・哲学・科学等が広まるのは8世紀から13世紀まで続いたイスラム支配下のイベリア半島(スペイン・ポルトガル)をキリスト教勢力が奪還し、そこに残されたイスラムがギリシャを支配する事で翻訳された文学・哲学・科学等を知るに至り中世ヨーロッパ文化の基盤となってからでした。
 
このようにヨーロッパとオリエントの文化の関係はひとつの流れと言っても良い位に深く同時に民族は多種多様ですがひとつ疑問が浮かびます、ギリシャ・ローマ文明の歴史以外にヨーロッパ大陸に歴史文明は無く原始的農耕遊牧民族によるささいな集落しか存続していなかったのでしょうか。
この原始的農耕遊牧自体もメソポタミアから始まったオリエント文明とその人々の流入によってヨーロッパ各地の石器文化を持った人々や集落に伝播し広がったものだけなのでしょうか。(土器文化はヨーロッパでは僅か一部地域にしか見られません)
現在、近年までヨーロッパ文明はオリエントから始まったとされて来ましたがヨーロッパはオリエント文明のみにより開けて来たのだろうかと言う疑問に対する考古学研究がなされているところです。



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無題
ヨーロッパのことは以外に知らない

特に古代と中世が

ギリシャやローマ帝国は高校の世界史で知ったくらい

でも古代と中世が抜けている

実際はいろんな民族が居りそれぞれ言葉や文化が違い日本人から見れば同じ様に見えるが違うという
しかし共通するのが宗教(キリスト教)
宗派はいろいろだが
音楽もクラシックだけが知られてるくらいで
実はいっぱいある

それらはほとんど日本には紹介されていない

今回の記事でおおまかな流れが解った

ヨーロッパの文明の下がメソポタミアにあり
それがギリシャに繋がる
中世は修道院が果たす役割が大きかったことなど

私は修道院とはギリシャ正教(東方正教)と思っていたが違うことなど

自分が知っていた間違いが修正された
中村 2010/03/16(Tue)21:15:29 編集
中村さんへ
ギリシャ文明以前のヨーロッパは実際考古学見地での憶測といって良いくらいはっきり解らないのが現実のようですね。
そしてローマ帝国の分裂と崩壊によって民族と文化は混入して複雑になってしまいますし、大変解りづらいので大まかにしか私には書けませんでした^^

12世紀に東ローマ帝国の国教となったギリシャ正教ですがこれも書き出すときりが無く、ローマ帝国分裂によって政権と共にキリスト教も分かれた訳ではなく4世紀頃から西へキリスト教が伝播される過程で分裂?したと言われる東方諸教会と言われるものもありましたしやはり難しいです。

「音楽もクラシックだけが知られてるくらいで
実はいっぱいある」
そうなんです、そこに本当の歴史が有るんですよね
それを知るには骨格となる権力や国家の歴史を踏まえた上で民衆の歴史文化の姿を捉えなくてはいけない。
その民衆の歴史文化こそ一民衆である私達の歴史文化なのだと自覚に至る事がこれからの社会や芸術の有り様を模索するのに最も大切な事と私は思うのです。

美術や音楽でも日本人の感性とはどの様なものだろうと考える時に必ず伝統芸術と言われる雅楽や能や日本画を参考に考えますが本当にそれらだけが私達の感性の歴史的伝統なのでしょうか
それは歴史の捉え方と同じように民衆の歴史と言える生活に生きた伝統芸術といえるものなのか大変な疑問を感じてしまいます。
それを探る過程として記事として自分の思考をまとめる為に書いているのですが、難しいです^^



ちょきんぎょ 2010/03/17(Wed)09:32:11 編集
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