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戯言による『失なわれた感性』への諸々なる思考と日誌
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昨年11月だったかNHKで放映された「地球ドラマチック」での内容
以前よりシャーマニズムによるものだろうとされてきたラスコー洞窟の壁画は
フランスの天文考古学者により1万5千年前の天体をクロマニョン人によって
写された星座だとこれまでの学説に一石が投じられたと言う内容だった

「何らかの方法で恒星の配置を写しそこに絵を描いた」
これはその方法を示す物的資料が発掘されない限り学術的には認められないでしょう
しかし、多くの考古学者はこの解釈を合理的だと認めて居ます
私も当時の人々が夜空を写しそこに彼らの大切な動物達を描いたものだと思います

私がこの番組で最も興味を引かれたのは
その説を唱えた学者が何故天体ではと感じたかと言うプロセスなのです
番組ではそこに焦点は当てられていませんでした

先月、上野の国立博物館特別展「国宝 土偶展」へ行き
素晴らしい土偶を眺め感嘆しながら、次に土器を見て居た時です
突然、縄文時代の人々の世界観、宗教的観念と言うようなものに包まれたかのように
彼らの生活や集団を感じその風景が眼前に浮かび上がった思いがしました
私は縄文土器、土偶などの埋没資料を相当数見たり触れて来ましたが
この感触は初めてのものでした
それはこれまで多くの資料や文献によって得て来た知的体験が
一瞬の内に結実し彼らの魂に触れたかのように感じた感触なのです
その後他の土偶や展示物を見、その前に立つとそれぞれの展示物に
個々の違った集団的世界観や宗教的観念に包まれ感じ見ることが出来たのです

このラスコーの壁画の前でフランスの天文考古学者も
同じような感覚から閃きを得たのではと思う様になりました
求め続ける感性は実体験と知的体験を多く得る事で育まれ
ある時対象を見出し感じ捕らえさせてくれる、そう思うのです

シャーマニズムと言う言葉の概念は現代人の作り上げたものです
非文明的、妄想や科学的無知のよるものと捉えていては何も感じる事は出来ないでしょう
科学的に物事を捉えるとは科学的手段を用いる事で
手段を信仰していては見えて来るはずのものも、感じる事が出来ないのです




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後ろに兄の遺作(陶壁画の一部)と私の二匹の白い猫(彫塑)
求め見詰める先も作品の性格も全く異なるものなのに
全く違和感無く並んでしまう

おそらく魂が同じなのだろう

この前、三重県美術館の巡回企画展へ足を運んだ
私はこの時、兄の作品の前に立った
作品を目の前にした事が、この30数年間無かったのだ

物心ついた時から兄とはいつも向き合って絵を描いていた
後にどちらが兄の絵か私の絵か、本人達にも解らなかった
だから今、兄の作品の前に立つと
色、筆の動き、視点の移動、全てが自分と重なり合う

魂が重なりあう。



「そろそろPCの資料も一杯になってきたので考察と共に編集して書き出さないと」
と思い、重い腰を上げる事にします
3年半前にKDDI のADSLが突然使い物にならなくなりブログを書かなくなって以来です。

あれから入院手術を繰り返し今も療養中
時間は自由になるので書く事で思考を形ち作って置かないと
思考の定着のために、資料をまとめる為に
そろそろ、ぼちぼち書くことにします。

昔のブログの残骸がKDDI のサーバーに残っています
 http://blogs.dion.ne.jp/tyokinngyo/
宜しければどうぞ、その内消えてしまうかもしれませんが^^




待っていた訳ではない
もちろん望んでいた訳でもない

思いもよらぬ恵み
救われ
見せられ
与えられる

これを私に何故
何を成すため
死に行く私に

その何故が解からなければ
きっと終われないのだろう

生きる喜びを
今何故与えられるのだろう

それは通じ与え得る者の道をも
変えてしまうだろうに
それだけの価値が有るのだろうか

その答えを示してくれるのは
貴方だけであり
その価値に応えられるのは
私だけなのだ
プロフィール
HN:
ちょきんぎょ
性別:
男性
自己紹介:
name  :  諏訪 淳
address : 神奈川県足柄上郡

mail : tyokinngyo77yahoo.co.jp
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