忍者ブログ
戯言による『失なわれた感性』への諸々なる思考と日誌
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

975497.jpg






 
日本ではアラビア人、アラブ人、イスラム人、イスラム教徒、などの言葉が時代によって作られ印象的に使われている、アラビア人とは人種ではなくアラビア半島に住む人々を指し、アラブ人とは西アジアや北アフリカとアラビア半島を含むアラブ諸国の人々を形容し、その諸国に住むイスラム教徒(ムスリム)をイスラム人と呼び、これらの呼称に東アジアのイスラム教徒を含めてイスラム教徒と地域や国を含めて称したりまったく根拠無く口にしているようです。
私自身、多民族国家や集団を総称する言葉を学びもっと気を配りながら使って行きたいと思います。
 
ではイスラム教とはどのようなものかを書き出しその宗教に少しでも認識を持って近づきたいと思う。(イスラムに教を付けるのは本来の意味からは変なのですがイスラム教と言う日本語として使います)
 
イスラム教とはアラビア半島のヒジャーズ地方のメッカ近郊に生まれ育ったムハンマド(モハメッド)が7世紀初頭(日本では飛鳥時代、聖徳太子や法隆寺建立の時期)に天使ガブリエルにより預言者として託され始まった宗教となっている。
この「預言者として託された宗教」と言うところが他の宗教始祖にある神からの啓示や教えから成る点と異なる。
ムハンマドの生まれた6世紀終わりのアラブ地域は国家と言える権力も政治体制も無く隊商を中心とする多くの小部族が協調し対立していました。大小幾つかの街は貿易と商業によって点在しキリスト教やユダヤ教が混沌とする多神教の占める土地柄であったようです。
この様な当時のアラブ社会状況と文化情景が大きく影響しイスラム教の根底をなしていると思える。
ムハンマドはクライシュ族のバヌーハーシム家に生まれましたがすでに父は無く(子の顔を見る事無く亡くなったムハンマドの父はメッカの中心となる多神教神殿カーバの鍵を預かる司祭の一統バヌーハーシム家の者)母も6歳の時亡くなり幼く孤児となり親類縁者のもとを貧しく転変しながら正直者とあだ名され育ち隊商として成人し、彼は25歳で15歳年上の未亡人となったが財を持ち隊商を雇うハディーシャに見初められ家庭を得ました。
文字を教わる境遇に無く知識人ではなかったが実直で由緒あるバヌーハーシム家の血を引く者として隊商を良くまとめハディーシャを深く愛し温厚な夫であり、時に社会の貧富の差を痛み快楽に落ちる人々に嘆きヒラー山と言う山の洞窟で瞑想の時を持つ生活をしていたようです。
40歳の時に洞窟で瞑想中、突如天使の様とも悪霊ともつかぬものが現れ「朗誦せよ」と迫られ恐怖のあまり声を出すと見知らぬ意味の言葉を朗誦していたそうです。
朗誦とは(ろうしょう)声高らかに謡うように読むことで、この朗誦があのコーランを謡うような形の基ではないかと思う。
当時メッカなどでは詩を街中で文人が朗誦する文化が有りその者は敬意を受けていたようです。
ムハンマドは最初恐怖のあまり家へ逃げ帰り震えていました、このシャーマンの様な体験を幾度か受け自分は狂気したのではないかと苦しみに耐えられずハディーシャに告白すると、ハディーシャは愛を持って受け入れ信頼するキリスト系アラブ人の従兄弟に相談しました。ムハンマドは従兄弟の解釈によって天使とも悪霊とも解らない者は聖書にある天使ガブリエルであり朗誦の言葉は「神」が直接与えられた「預言」だと知り、その後もシャーマン的体験はムハンマドが死ぬまで人々の眼前でも続き神が「新しい宗教」を起こすよう命じられた事も知ったそうです。
ハディーシャの愛が無ければイスラム教は生まれなかったかもしれませし、ハディーシャの死後ムハンマドは変容して行ったかのように私には感じます。
この預言のシステムがイスラムの裡で、「神」がユダヤ教やキリスト教と同じ唯一神でありその「預言」は唯一神からの原始ユダヤ教キリスト教を経て第三番目の完結した宗教であると同時に、人間が授かった最終結実したる教えとして認識されたのではないかと私は考えます。
数々の預言において神がムハンマドの肉体を通じアラビア語で直接話されたと成っている事で、その言葉をアラビア語で書き集められたものがコーランです。
ですから厳密には翻訳された物はコーランとならず、アラビア語に通じていなくてはムスリム(イスラム信者)とはならない事に注意しなくてはいけないと思います。
現在インドネシアでイスラム教徒人口は1億7000万人以上と言われ世界最大のムスリム国でありインドネシア語を公用語としているが多種多様な言語が日常語として使われている、ここの所の現状を今後見て行きたいと思う。
この「預言」よりムハンマドの布教となるのですが、先ず受け入れてくれたハディーシャと従兄弟と共に朗誦の言葉の収集と理解により宗教的実体へと形作られ、布教は親族への個人的対面から始まって最初にアブーバルクが加わったようです
ここら辺りまでがムハンマド個人の伝承として書き残されたものらしいです。
その後、親族への布教からから街の人々へとメディナへ移るまで12年の布教活動が行われましたが親友のアブーバクルら70人ほどの信者となるのみで大きな進展は得られず逆に迫害の対象となり弾圧され命の危険に曝されるまでになり西暦619年ハディーシャが亡くなります。
当時メッカは各地域から商品や文化が集まる砂漠のオアシスとして栄え多彩な宗教を持った交易商人達の快楽と利得の街でした。
ムハンマドが発する神の教え「預言」は人の完全な平等を掲げ快楽のむさぼりを禁じ、利益を貧しい者に分け与える分配を求め、神は唯一神のみであり一切の偶像崇拝をしてはならないと言うものでした。
故に街からも部族からも敵視され迫害を受け、ムハンマドの預言には呪いとも取れる言葉が残されています。
ムハンマドとアブーバルクはメッカを70人ほどの信者と共に逃げ出しメッカ北方300キロの道を経て西暦622年メディナへ追われ移住し信者集団としてコミューンを作り生活し出しました。
苦難を強いられても離脱しなかった70人の信者はこの時代と街の状況から道徳を心得た優秀な人々ではなかったかと想像出来ます、そしてこの移住によってイスラム共同体ウンマの基礎となったのでしょう。
イスラム教ではこのメディナへの移住をイスラム教の起源ヒジュラとしてイスラム暦を刻んでいます。
このメディナでムハンマドのウンマ(コミューン)は隊商同士利害対立をしていた隊商達に受け入れられ大きく発展し強い勢力となり武力をも持ちます、それはメッカからの隊商やユダヤ人との摩擦を助長し、事あるごとの「預言」に導かれ戦い勝利して行きます。この頃ムハンマドは勇猛な戦士としても名が知れて行きアブーバルクの娘9歳と結婚します。
そして遂にはメディナを収め西暦630年メッカをも占領しアラビア半島を翌年西暦631年イスラム教によって統一しますが西暦632年ムハンマドはメディナで病没します。
ムハンマドは最初の妻ハディーシャの死後アイーシャをはじめ10人ほどの妻を持つようになっていました。
そしてムハンマドの死去の後イスラム教はアブーバルクを筆頭に地中海沿岸諸国から中央アジア、西アジアと勢力を巨大化させて行きます。
 
次は世界史的にイスラム勢力を見て行こうと思います。




PR
この記事にコメントする
Name
Title
Color
E-Mail
URL
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
無題
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
ともに神を信ずる所から始まる

ユダヤとイスラムは神は一つヤハウェ(アッラー)であるがキリストはキリストが神であるところが違う

此処を詳しく書くことは私には不可能だが

預言者とは未来を予言することではなく
神からの啓示(教え)を預かった物という

そして神は神であり人では無い

キリスト教ではキリストはひとではあるが預言者であり救世主であるからして神であると言う

神の啓示は聖書である
ユダヤでは神と契約する
その契約書が旧約聖書である

キリストは旧約聖書の足りない所や新たな言葉を加えて契約更改をしたそれが新約聖書(副音書)

イスラムは神の啓示(言葉)である聖書は旧も新も聖書であるがイスラムの解釈をしなければならないムハンマドの啓示を受けた言葉はコーランである

という所辺りが基礎知識として知らなければならないだろうと思います
中村 2010/02/17(Wed)22:59:24 編集
中村さんへ
「父と子と聖霊によって・・・」と言う言葉聞かれたことがあると思いますが
これがキリスト教の最重要の一つとなる教理で
イスラムではキリストはムハンマドと同じ預言者となってますね
これらはいずれカトリック、プロテスタントに触れるところで書ければと思っていますが
そしてユダヤ教についても
「父と子」は主なる神で子とはイエスキリストとまでは割合知られていますね
しかし「聖霊」については信者以外殆ど知られていないのではないでしょうか
中村さんのおっしゃる様に本質としてこの三位一体が重要に成りますね
そして契約とは何か救いとは何かと信仰の根源へと。

そう言えば日本の元首相小泉が政策発言として三位一体と知ったかぶり平然と使っていましたが
憧れを抱きかぶれはするが本質を見ようとしない他文化軽視他国民軽視を見せ付けられる思いがしたのを思い出します。

コーランについてと言うか教義そのものは次回私なりに書こうと思っています
預言者ムハンマドが没することでコーランが神の言葉として重要性が高まり解釈の問題が起きてきますし
ヨーロッパ文化との摩擦に大きく関わってくる事柄だと私は捉えています
その後イスラムとの日本の歴史をなぞり日本人はいかに認識しているのかと言うように・・・
イラク戦争の意味、自衛隊派遣でのアラブ諸国民の感情、高遠菜穂子さんへの日本人の反応と意識へと
先はすご~く長いのでちょっと自信はありませんが
最終的に現在の世界情勢にたどり付くことが出来ればと

私の知的体験として勉強しながら捉え直すことで
多くの側面で日本人のアイデンティティを見詰めたいと思っています

聖霊は精霊ではなく預言は予言ではない日本語のひっかっかる所ですね^^
ちょきんぎょ 2010/02/18(Thu)10:59:48 編集
この記事へのトラックバック
TrackbackURL:
プロフィール
HN:
ちょきんぎょ
性別:
男性
自己紹介:
name  :  諏訪 淳
address : 神奈川県足柄上郡

mail : tyokinngyo77yahoo.co.jp
   77の後に@を入れてください。
最新CM
[07/01 WWFJAPAN]
[06/13 ちょきんぎょ]
[06/13 ユックリッピ]
[03/21 ちょきんぎょ]
[03/21 og3]
最新TB
ブログ内検索
バーコード
フリーエリア

Template by Emile*Emilie

忍者ブログ [PR]