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戯言による『失なわれた感性』への諸々なる思考と日誌
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  縦書きで記事を書いてみました
                 カーソルを記事の中央付近に置きマウスのスクロールを使うと横に上手くスクロールすると思います。  


 随分日にちが経ちましたが
ムハンマド(モハメッド)以降のイスラムとヨーロッパの関係について、私なりの考察をまとめておきたいと思います。

 結論から先に、
ヨーロッパルネッサンスはイスラム抜きでは語れない事と
その認識が今日のヨーロッパ各国の歴史認識に於ける民族的思想と文化形成の根底を成している事
そしてそれを認識していない日本の姿が見えて来るのでは、と言う経緯を書きまとめ様と思います。

 ムハンマド誕生期のメッカには三百以上の神々が祀られ、多数の部族により交易都市として発展していました
富める者が貧者を支配する社会だったようです。
 そこに唯一神なる神の啓示を受けたムハンマドが神の言葉を発し伝え
社会の人的平等と権利を唱え、多神教と偶像崇拝を否定し、布教を始めました。
ある程度の人々から受け入れられる様になると、支配階級と敵対し軋轢を受けるようになり
農耕都市であるメディナへ逃亡するかのように、七十名余りの彼を支持する親族と信者とで移り住みます。
メディナでムハンマドを中心とするイスラム共同体(ウンマ)が作られ、メディナの人々に受け入れられ
やがて都市そのものがイスラム共同体と成り武装しメッカを目指す様になります。
最初のメッカ進行はムハンマド達イスラム信仰の発祥の地であるメッカ巡礼を求める戦いでした
しかし奇跡的勝利を得てムスリムの大々的侵攻へと繋がりメッカは陥落し、イスラム教都市と成たって行きました。
その後、ムハンマドはメッカを聖地とすると共に祈りのあり方や巡礼・断食等の五行を定め
アラビア半島で敵対する部族勢力を武力によって統治し、アラビア半島をイスラム教で統一しましたが
その直後他界しました。
ムハンマドが神からの啓示を受け半島を統一し他界するまで、二十年ほどの年月でした。

 ムハンマドの予言の言葉を集め書き留めたのがコーラン(クルアーン)であり
コーランの解説書と言えるムハンマドの歴史が記されている書がハディースです。
 これらの書をもって後の実質的指導者のカリフ達は
(カリフとはメッカからメディナへムハンマドと共に移りメッカ侵攻を戦った最初の信者や血縁者の中の
数人によるムハンマドの後継者)
そのカリフ達は、地中海沿岸から中央アジア・東ヨーロッパを侵攻し、イスラム帝国建設へと導いて行きます。
この他圏侵攻がコミューンと言えるイスラム共同体(ウンマ)を変容させ
それは国家・王国的性格を持ち富と権力の一極集中を生んだイスラム帝国を築き
その後イスラム圏(正統カリフ以降の血族カリフによるウマイヤ朝、アッバース朝)の崩壊へと繋がるのです。
 
 ここで血統による正統カリフのみが指導者カリフであるとするシーア派と
カリフは血統だけにはよらず選出されるとするスンナ(スンニ)派とが生まれました
四人の正統カリフの死後スンナ派が主流と成りウマイヤ朝アッバース朝等を起こしますが
結局それぞれの王朝はその血族部族による世襲によって引き継がれました。
これらの事柄は本来のイスラム教の求める人的平等と権利の平等に反し
支配者層の富は都市を構築するほどの膨大なものに膨れ上がって行った様です。
その富への欲求が八世紀代には
エジプト・北アフリカ・イベリア半島(スペイン)・中央アジア・東ヨーロッパ・イタリア半島の一部までも進出を果たし
大帝国となり、長くスンナ派とシーア派との勢力争いは続きます
十世紀にはついに分裂を起こし、十一世紀から十二世紀にかけて衰退して行き
しかし一部一時期勢力を吹き返しますが、十三世紀にモンゴル帝国によってアッバース朝は完全に滅ぼされてしまいます。
その後もイベリア半島の南部に三百年近くイスラム勢力は残りますが
十五世紀末にグラナダが陥落しイベリア半島での終焉を迎えます。
 
 イタリア半島南部とシチリア島(ブーツを履いた足とその足が蹴った三角の島)を九世紀頃イスラム教徒は支配します
そこにイスラム・ギリシャ正教・カトリックと宗教文化は共存し多様性を持つ文化圏と成り十二世紀末まで続きます
その結果ヨーロッパの文化文明に大きな発展をもたらすルネッサンスの布石とも言える
シチリア・エジプト・シリア西部の支配から得た知識により発展したイスラム哲学やイスラムの科学的学問は
近代ヨーロッパ文化の基礎を作る事と成ります。
 ギリシャを含むバルカン半島をイタリアで始まったルネッサンス時代の十五世紀以降、オスマン帝国が支配し始め
四百年近く統治します。
ヨーロッパに対するイスラム文化の直接的影響は
ルネッサンス以降に貧小と成りますが、八世紀からの十八世紀の千年間にも及ぶとも言え
 バルカン半島北部にあたるその歴史の渦中である境界線
アルメニア・ボスニア・クロアチア・コソボ・セルビアなどの悲惨を知る事へとも繋がるのです。
 ここまでが簡単なイスラムの流れとしての概要です
ではヨーロッパのいくつかの地方のイスラムの関係を見て行きたいと思います。
主な地域を見る事でイスラム文化とヨーロッパの関係が見えて来ればと考察して見たいと思います。

 先ず今のスペイン・ポルトガルに当たるイベリア半島ですが
日本で見ると奈良時代から鎌倉時代までの五百年間から七百年間の歴史がイスラム支配の歴史
と言うよりスペイン・ポルトガルのイスラム時代なのです。
 アルハンブラ宮殿にイスラム建築の様式が見られるのを知っている日本人はかなり居るでしょうが
その歴史的期間の重さを知る日本人は少ないのでは無いでしょうか。

046-1-3.jpg


 クリックで拡大します。






 写真は桃山時代に狩野派によって描かれた南蛮屏風の一部です
見てみるとイベリア半島でのイスラム支配が終わる頃ガレオン船でポルトガルの人達が来航した時の様子ですが
幾人かのターバンを巻いた人が描かれ、人々は紙風船の様に膨らんだズボンをはいています
日本で見るアラビアンナイトの挿絵などの膨らんだズボンを思い出してください
このズボン、実は日本の「もんぺ」はここから始まったのです
そしてこの「もんぺ」こそイスラムの装束でシルワールと言い、上着もジュッバと言う装束だそうです。
イスラムがポルトガルを去って三百年を経てもイスラム文化が定着しているのがこの屏風絵に見て取れます。

 イベリア半島(スペイン)は紀元前から4世紀までローマ帝国領土で
五世紀にゲルマン民族の移動により西ゴート王国となりましたが文化はローマ文化を継承し
六世紀終わりにカトリック教国となります
しかし百年ほどでイスラム・ウマイヤ王朝に支配された後、七百年間イスラム圏でした。
 スペインには史跡としてローマ帝国の闘技場やセゴビアの大水道橋などローマ時代の遺跡が多くあり
イスラム時代のアルハンブラ宮殿等のイスラム文化があり
イスラムとカトリックの攻防を示す城壁群
後のカトリック・キリスト教時代の全長二百メートルに及ぶ巨大なエスコリアル修道院に代表される幾多のカテドラル
古い街並み、アントニオガウディの百年以上前から建設中のサグラダファミリア寺院など
壮大な歴史が、生きている歴史として生活の中にあるようです。
 乱暴な捉え方ですが文化的歴史的には、石器時代からローマ帝国時代に移り
ゲルマン系西ゴート時代の百年間のカトリック時代を経て、七百年間のイスラム教時代となり
イスラムの終焉を迎え、現代までの七百年間がカトリック時代と言えると思います。
 人類学的には、石器時代の中東からの人々の移入に始まり
青銅器時代にインドヨーロッパ語族の流入があり
ローマ時代のケルト人ゲルマン人の移入となり、このあたりまでをイベリア人と認識し
後にアラブ人・ユダヤ人、北部は(ポルトガル付近)石器時代からブリテン諸島の人々との血流が有り
ラテン系と呼ばれる多様な人々の血による地域と認識して良いと思います。
 この位が私のヨーロッパ西部の流れを捉えるためのイベリア半島でのイスラムとの関係と歴史的背景としての
大まかな認識であり、これらの時代が国として民族的思想して
この地域の文化の起点と成るのだと思います。
 
 次回はルネッサンスへと繋がるイタリア半島南部とシチリアを見て行きたいと思います。














 
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無題
どうやったら縦書きになるの
この通りやってもならない

そんなことしててしっかりこの記事読んでない(苦笑)

スペインやポルトガルはイスラム文化の影響を強く受けている

そのことは大学でスペイン語を選択し教科書がスペインの歴史の本

読んでも解らなかったが先生が大筋を話してくれた

スペインがイスラムの支配下に入ったこととその文化が残っていることはそのとき知った

アフリカからジブラルタルを越え入ったと
そのときギターの前身も入っている

イベリア半島はその後カトリックの支配を受ける

キリスト教でもちょっと毛色の違う感じがする

あの有名な巡礼の道名前忘れた
北スペインからポルトガル国境までの長い道を徒歩で歩く

今も毎日そうとうな数の人が歩いている
あの俳人の若い女の人黛まどかさんだったかなあの人のその巡礼を歩いた本を読んだことがあるが

それでそういうことが解った
クレオバンブー中村 2010/05/30(Sun)00:23:10 編集
中村さんへ
いつもコメント有り難う御座います。

縦書きはこのブログ、HTMLでも書き込めるのでそれを使って設定してるだけなんです^^
でも、縦書きにするとただ単に横で書いて縦に変換するのでは違和感が生じます、面白いものです
きっとこの感覚は中国人・韓国人・日本人・北東アジアの人間しか味わう事の出来ない感覚かもしれません
いや、文法が同じで言葉の発声の似た日本と韓国だけかもしれません
ここにも私たちのルーツとなるものが有るようです。
Testで書いた一文は柳田國男の遠野物語の一文を思い出して私の感覚で書いたのですが
どうも捕まってしまった感があり、あのような文を書いてみたい衝動にここのところ動かされています、その内ちょっと書いてみようかと。

イベリア半島とイスラム、大変難しいです。
現代までイべりア半島は大まかにイスラム時代とキリスト教時代と歴史的に半々の時を有しています
それをどう捉えるか、学術的にと言うよりも肌で感覚的に感じなければ言葉だけで終わってしまいそうで、本当は行って住んで生活しなければ感じる事は出来ないのでしょう。
でも幸いな事に肌で感じられるものが、音楽や絵画・工芸・料理など日本では容易にそれらに触れることが出来ます
私にはスペインに生まれ南仏に晩年を過ごしたピカソの作品などその代表のようなものです、イスラムとキリスト教の文化が混在する空と海と空気を感じなければ彼の作品を見詰める事は出来ません。
そこから入って行くしかないのではと思います。
そして音楽も大変重要ですね、その音楽と共に変化し発展して行った楽器も歴史と文化の結晶です、中村さんのギターも同じように歴史文化から生まれるべくして生まれたと言えると私は思っています。


記事ですが、なんとも取りとめの無い記事で、それでも読んでくださり感謝です。
今はイスラムの方向からヨーロッパをと歴史と地域から先に概要を書きとめて行くつもりなのですが
どこまで掘り下げれば良いのか、後のヨーロッパに視点を移してイスラムを見る時、どこまで掘り下げておいたら良いのか手探り状態で書いていますので大変何が言いたいのか解らない文と成っています。
何とかしなければ^^

中村さん、12世紀以降のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼ですね、フランスを中心に多くのヨーロッパの人々が徒歩による巡礼を行っているようですね。
イベリア半島に巡礼地が出来たのは当時のキリスト教にとって地理的・政治的意味も有ったと推測しているのですが今後の課題でも有ります、これはヨーロッパでの視点から書ければと思っていますが難題になりそう^^

ちょきんぎょ 2010/05/30(Sun)08:48:30 編集
無題
HTML書けるの?
凄いね私は昨日もプロに言語のことをレクチャー受けたができそうに無い
もうベーシックを知ってても何の役にも立たない息子はさすが専門学校言ってるだけ合ってVBもCもかなり理解してるみたい

まだ縦にならない~~~~~
クレオバンブー中村 2010/05/30(Sun)10:35:36 編集
これで
これで、どうでしょうか
コピペしてみてください。

中村さん、すみません出掛けていて遅くなりました。

<p><em><br />
</em></p>
<div style="writing-mode: tb-rl; width: 100%; height: 950px; overflow: auto"><font size="3">   
<br />
記事
<br />
&nbsp;</font></div>

私も実は自分では書けませんが意味だけは何とか解るので色々なサイトのソースを開いて部分的に拾って来るだけなんです
でも今はjavaばかりでjavaは読めないの苦労します^^

お解りかと思いますがheightやfont、brは適当に変えてみて下さい。

これをコピペで反映されないと私もお手上げですね^^
ちょきんぎょ 2010/05/30(Sun)21:44:14 編集
無題
いろいろやって馬鹿みたい

ブラウザをファイアーフォックスからIEに変えるだけでよかったIEで見れば縦になっています
クレオバンブー中村 2010/05/30(Sun)22:16:38 編集
無題
Firefoxだんたんですか、 Firefoxでは対応できてないから縦に見れないと書こうかと思って書かずじまいでした
書けばよかった、すみません。

??でもこのブログはIEで見てソースの書き込みはFirefoxだったのですか
う~ なんとも、なんともです。

ちょきんぎょ 2010/05/30(Sun)23:42:54 編集
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